組合の取り組みと歩み

組合のふさなり生産への取組は、2015年に遡ります。高知が生んだ偉大な植物学者「牧野富太郎」の愛弟子である竹田功氏※が密かに標本として遺していた種籾を、息子の竹田順一氏が高知県香美市香北町谷相の農家に託したことから始まりました。

標本を託された農家は試行錯誤の末、2015年の春、発芽に成功します。長い保存年月が経った種籾でしたが、流石は植物学者の遺品です。栽培を託された1年目に見事に発芽しました。
稲は、すくすくと育ち、その年の秋には、驚く程良い香りを放つ見事な稲穂へと成長したのです。

 

翌年の2016年には、「志」に賛同した地元農家が加わり、「ふさなり生産組合」を結成しました。

2017年になって、販売組織を充実させるために、事業プロデュース役として、サンコーエーシーピー株式会社の服部栄二郎氏が加わりました。


竹田功先生と「ふさなり」

竹田功先生は、東大の別科(現筑波大学) のときに東京植物同好会のメンバーとして牧野先生のご指導を受け可愛がられていたそうです。
「ふさなり」は、その指導を受けた竹田功氏が種を保存していたものです。
竹田功氏は、神宮から学徒出陣をし、終戦後は千葉大学助教をしていましたが、 マラリアの転地療養のため土佐に帰る事になりました。
竹田功氏は、石神井の牧野先生にご挨拶に行ったそうです。
帰郷療養の挨拶に訪れた竹田功氏に対し、牧野富太郎博士から『 私は土佐の山野草の採取・ 研究はしたが在来野菜などの研究はしていない、 土佐に帰ったらやりなさい』と、直々にアドバイスを受けたそうです。
後に、地元高知四万十にある熊野神社(神田)で近藤日出男先生のご指導と御協力のもと、神饌米「ふさなり」を採取し種を保護してありました。
牧野博士からよき薫陶を受けた竹田功氏は、その後も土佐の在来野菜を約80種程度遺したそうです。