竹田功先生は、東大の別科(現筑波大学) のときに
東京植物同好会のメンバーとして牧野先生のご指導を受け可愛がられていたそうです。
「ふさなり」は、その指導を受けた竹田功氏が種を保存していたものです。
竹田功氏は、神宮から学徒出陣をし、終戦後は千葉大学助教をしていましたが、 マラリアの転地療養のため土佐に帰る事になりました。
竹田功氏は、石神井の牧野先生にご挨拶に行ったそうです。
帰郷療養の挨拶に訪れた竹田功氏に対し、牧野富太郎博士から『 私は土佐の山野草の採取・ 研究はしたが在来野菜などの研究はしていない、 土佐に帰ったらやりなさい』と、直々にアドバイスを受けたそうです。
後に、地元高知四万十にある熊野神社(神田)で
近藤日出男先生のご指導と御協力のもと、神饌米「ふさなり」を採取し種を保護してありました。
牧野博士からよき薫陶を受けた竹田功氏は、その後も土佐の在来野菜を約80種程度遺したそうです。